インドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人であるデヴィ夫人。
また、タレント・YouTuberであり、株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役も務めています。
今回は、そんなデヴィ夫人と旦那・スカルノ元大統領の馴れ初めや娘・カリナについてご紹介します!
デヴィ夫人とスカルノ大統領の馴れ初めは?

デヴィ夫人とスカルノ元大統領の馴れ初めをご紹介します。
運命的な出会い
戦後の日本に生まれ、母子家庭で貧しい暮らしをしていたデヴィ夫人。
学生時代は夜間の定時制の学校に通い、日中は仕事をするという日々の繰り返しでした。
18歳の時には赤坂にあった外国人セレブ御用達の超高級サパークラブで働き、当時のサラリーマンの月収を1日で稼ぐなどして家計を支えていたといいます。
そんなデヴィ夫人に転機が訪れたのは19歳の時でした!
ある日、デヴィ夫人が友人と映画を観に行くために待ち合わせをしていたところに、スカルノ元大統領一行が偶然通りかかり、従者から
”(大統領が)上でお茶会をしているので、そこでお待ちになりませんか?”
と声を掛けられ、会場に向かうと華やかなパーティ会場の正面にスカルノ元大統領が座っていたといいます。
そこでデヴィ夫人とスカルノ元大統領は意気投合し、出会いから3カ月後に
”2週間ほどインドネシアに遊びにいらっしゃいませんか?”
と、招待を受けたそうです。
しかし、ちょうどその頃デヴィ夫人はアメリカ人の富豪2人からも求婚されていたそうで、どう返事するべきか悩んでいました。
そこで、
”そうだ、外国に行ったら、何かひらめきがあるかもしれないわ”
という考えと、『家族を早く楽に生活させてあげたい』という思いからスカルノ元大統領の誘いを受けることにしたそうです!
未練を断ち切りインドネシアへ
インドネシアに出向いて2週間が過ぎたころ、スカルノ元大統領から
”私のインスピレーションとなってください。私の力の根源となり、人生の喜びとなってください”
とプロポーズされ、
”こんなに美しいプロポーズは100年生きても聞くことはできないだろう。私は選ばれたのだ。そして、選ばれた以上、全力でお尽くししよう”
と思い、そのままインドネシアに残る決意をしたデヴィ夫人。
そして、母と弟を一度に亡くしたことをきっかけに日本への未練を断ち切り、スカルノ元大統領を近くで支えるためにインドネシア国籍を取得します。
インドネシアに飛び立ったデヴィ夫人は、『ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ』という名前を付けてもらいました。
それからのデヴィ夫人は、スカルノ元大統領のベストアシスタントやベストセクレタリーとなり、万全の状態で国務をこなせるよう全力でサポートしていたそうです。
幼い頃から世界を夢みていたとはいえ、行動力と決断力が素晴らしいですよね。
デヴィ夫人の旦那の死因は?

デヴィ夫人の旦那・スカルノ元大統領の死因について調査しました。
1966年、スカルノ元大統領は全ての役職を剥奪されて自宅に事実上の軟禁状態に置かれていました。
その頃デヴィ夫人は日本で娘を出産していたのですが、インドネシアに戻れる情勢ではなくなりフランスへ亡命。
そして、1970年にスカルノ元大統領の危篤の知らせを受け、死を覚悟して向かったそうですが、結局娘とスカルノ元大統領の対面は叶わなかったといいます。
多くの家族が国外に政治亡命、離散するという失意の状況に置かれたまま、こうしてスカルノ元大統領は1970年6月21日にインドネシア・ジャカルタにてこの世を去ってしまいます…
享年69歳でした。
残念ながら死因については明らかとなっていませんが、「腎虚(じんきょ)」で亡くなったという噂があります。
腎虚(じんきょ)とは、漢方医学で言う内分泌系や免疫機能など全般の機能低下によりおこる症状を言う。
その後、スカルノ家、ならびにインドネシア政府から財産の相続の権利や子供のスカルノ一族としての地位などを喪失し、第3夫人としての資産は与えられなかったとも、実際には死去時に遺産が与えられたとも言われています。
いずれにしてもその後のインドネシア政府の方針により、第3夫人としての遺産分与が行われたそうです。
デヴィ夫人の娘・カリナの顔画像や職業は?
デヴィ夫人の娘・カリナさんの顔画像や職業についてご紹介します。
はじめに、デヴィ夫人の娘・カリナさんのプロフィールを見ていきましょう。

名前:カリナ・サリ・デヴィ・スカルノ
生年月日:1967年3月11日 (年齢 55歳)
出生地:東京都
配偶者: フリッツ・フレデリック・ゼーガース (2005年 – 2021年)
デヴィ夫人に似て顔立ちがはっきりとしており、とても綺麗な方ですよね♩
カリナさんは幼少期をフランス・パリで育ち、その後スイスの高校に進学しました。
高校卒業後はボストンにある「パイン・マナーカレッジ」に進学し、マスコミュニケーションと国際文化を学びます。
そんなカリナさんは、これまでに様々な職業についていたようです。
- テレビレポーター
- ニューヨークの広告代理店
- 米国の財団
その後、財団での勤務経験を活かして「カルティカスカルノ財団(KSF)」を設立します。
インドネシアの経済の悪化と貧富の差により、学校に行けなくなってしまった子供たちのため、”一人でも多く学校に通わせたい、手助けをしたい”という思いで設立した財団。
まとめ
今回は、デヴィ夫人と旦那・スカルノ元大統領の馴れ初めや娘・カリナについてまとめてみました。
19歳の頃にスカルノ元大統領に出会ったことで、大きく人生が変わったデヴィ夫人。
今後の活躍も見守っていきましょう♩