有吉の壁などに出演し、再ブレークを果たしているもう中学生さん。
ピン芸人の印象が強いですが、昔は4人組のコント集団に所属していたようです。
今回はその当時のエピソードやどのようにしてピン芸人になったのか
ということを調査しました。

もう中学生のプロフィール

- 本名:丸田 典幸(まるた のりゆき)
- 生年月日:1983年2月14日(38歳:2021年9月現在)
- 出身地:長野県 長野市
- 身長:181cm
- 活動時期:2001年~
- 事務所:吉本興業
「もう中学生」という芸名は、養成所の履歴書を見た社員が「ん? あんた中学生じゃないでしょ?」とツッコミをすることを期待して付けた名前です。
またもう中さんが養成所に入ったのは
自分はお笑い芸人にはなれないが
とにかくお笑いが好きで、近くで見たかったからという理由のようです。
そのため入学当時は芸人になろうと思っていませんでした。
そんなもう中さんが芸人を本気で目指すきっかけになったのは
同期が劇場でネタをやっている姿をみて、くやしさを感じたからです。
養成所時代にもう中さんの同期である何組かが
舞台でネタを披露し、その様子を客席から見ていた時に
「あれ!? 俺、舞台に立てていない」と思いただただ悔しさ感じたようです。
この出来事がきっかけで、本気で芸人になることを決意します。
もう中学生は『商業』という4人組だった?
本気で芸人を目指し始めたもう中さん。
最初はピンで活動していましたが
「やっぱり漫才がやりたい」
「1人だけで活動するのは、ちょっと怖い」
という思いから、NSC卒業と同時に4人組のコント集団を作りました。
名前は『商業』
(残念ながら当時の写真や映像はありませんでした。。。)
もう中さんはセリフはなく、空を飛ぶ人を持ち上げる役をしていたようです。
完璧黒子役ですね。
そのためコントの練習をするというより、日頃から腕を鍛えていたようです。
大家さんの助言でピン芸人に?
そんなもう中さんは、しばらくして4人組集団を脱退することになりますが
そのきっかけをくれたのは
意外にも大家さん助言だったようです。
当時住んでいた家の大家さんがシルバーセンターに通っていたのですが、「お祭りがあるから、あなた出なさい」と言ってくださって。それで、シルバーセンターで4人組のネタをやったんですね。その日の夜は大家さんの家で夕飯を食べていたのですが、そのときに「あなた、1人になりなさい」とおっしゃってくださったんですよ。
<中略>
「あなたはいいところがいっぱいあるのに、それが消えちゃってる」って大家さんがおっしゃってくださって。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/39a5261855bfce3e40706704036d56ff9bbc79f3?page=2
この助言を聞き脱退することを決意しますが
すぐに脱退するのではなく1年かけて脱退したようです。
この1年かけてっていう部分も大家さんのアドバイスで
急に抜けて売れた場合、残りの3人から恨まれる可能性があるという考えから
このようなアドバイスをされたようです。
現在のもう中さんがあるのは、この大家さんのおかげと言っても過言ではありませんね。

ちなみにもう中さんと言えば段ボールを使った芸が有名ですが
これはNSC時代に薬局でプリンを買っていましたが
その時に、店の外においてある段ボールをみて段ボール芸を思いついたとか。
その時のネタは「コチュジャンを食べた辛さで、段ボールで作った中華屋さんが浮いちゃう」というものです。
どのようなものか気になりますね。
もう中学生&ですよ。コンビでM-1出場?
ピン芸人になると2009年の「爆笑レッドカーペット」がきっかけでブレークを果たしますが、ブレーク前に一度だけコンビを組んでM-1の予選に出場していたようです。
その時の相方が「ですよ。」さんです!
めちゃくちゃ以外な組み合わせですね。
実はこの2人はNSC時代の同期で
このことがきっかけで『もう中学生ですよ。』という即席でコンビを組みました。
ただM-1は即席コンビが勝ち上がれるほど
甘くなかったようで、予選で敗退することになります。
2人とも漫才をする印象がありませんが
どのようなネタで勝負していたのか気になりますよね?
当時のネタを披露している動画がニコニコにあったので
ぜひご視聴ください!(なかなかシュールですよ。。。)

まとめ
今回はもう中さんブレークする前のコンビについて調査しました。
大家さんのおかげでピン芸人「もう中学生」が誕生したことや
過去にはM-1の予選にも出場していたことがわかりました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。