自民党総裁選出馬を表明した、自民党の幹事長代行「野田聖子(のだ せいこ)」さん。
女性議員の中で、次期総理として最も相応しいとも言われている方です。
そこで今回は、そんな野田聖子さんの気になる学歴をまとめました。


野田聖子の出身大学は上智大学
まず初めに野田聖子さんの出身大学を紹介していきます。
野田聖子さんは1978年9月に『上智大学・外国語学部比較文化学科』に入学し、1983年3月に卒業されました。

後ほど紹介しますが、野田聖子さんはアメリカの高校を卒業し、当初はアメリカの大学に進学する予定でした。
ですが家庭の事情で急遽日本に帰国することになり、後の学生生活は
- 中退した高校の1学年下からやり直すか
- SAT(大学受験の資格)を認めてくれる大学に入学するか
という2択しかなく選択を迫られました。
ちなみに当時、このSATの資格を認めていたのは『上智大学・国際学部』か『早稲田大学・国際部、国際基督教大学』くらいしかありませんでした。
そして野田聖子さんは当時の偏差値が58程度と言われてる『上智大学・国際学部』に入学を決めます。
こちらの学部ではアメリカのシステムを取っていたので、授業は全て英語で行われていました。
スキーと彼にのめり込んだ大学時代

野田聖子さんは学業に励む傍ら、スキー同好会『アリカディア』に所属しています。
競技スキーなど本格的に取り組む同好会で、野田聖子さんは春休みや冬休みには毎日スキー場にいたそうです。
アルバイトで貯めたお金は競技用のスキー購入に全て注ぎ込むほど夢中になっていました。
また20歳の頃に交際していた彼氏も同じスキー同好会のメンバーで、
「毎日一緒じゃなきゃ嫌って感じで、それがすごい幸せで」
とインタビューで答えていらっしゃいます。
そしてなんとクラブ内の男女交際は禁止で、それを破った第一人者が野田聖子さんだったというのは驚きです。
大好きなスキーと彼氏の存在で、野田聖子さんの大学生活は充実していたに違いありませんね。
ちなみにスキーと彼氏の他にも車が大好きで、彼氏とのドライブは勉強よりも優先順位が高かったそうです。
多趣味で忙しく、それでいて勉強が出来るというのは、余程効率よく行っていたのでしょうね。
就職難でも腐らず邁進

また野田聖子さんは上智大学に5年間通っていたそうで、理由が
『日本航空350便墜落事故』(1982年2月9日)
が関係し、この事故が原因でJALの内定が取り消しになってしまいました。
その後はサントリーや住友商事など、他にも様々な職種を受けましたが落ちてしまいました。
ですがその中でも『帝国ホテル』に就職を決めたのは、当時の面接官で今の社長・小林さんととても気が合ったためと言われています。
働く女性をテーマにしたインタビューを受けた際には、帝国ホテルに決めた理由を
- 美味しいものが食べられる
- 服装が制服だから楽
- 働くという発想が学生の頃はなかった
とおっしゃっています。
お堅い仕事を選んだ真面目な方という印象が強い野田聖子さん。
ですが実際には自由奔放で楽観的、あっけらかんとした性格の方なのかもしれませんね。
野田聖子の出身高校は雙葉高等学校
次に野田聖子さんの出身高校を紹介していきます。
野田聖子さんの出身高校は『田園調布雙葉(ふたば)高等学校』です。
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引用元:みんなの高校情報 東京
こちらの高校は東京都世田谷区に所在する中高一貫校で、カトリック教の私立女子校で「お嬢様学校」と言われています。
好きなことをとことんやりたい高校時代

当時、野田聖子さんはロックバンド「クイーン」に熱中し、同級生とバンドを結成したほどロックにハマっていました。
お嬢様学校出身とは想像がつきませんね。
しかし野田聖子さんは高校1年生の夏に退学になってしまいました。
というのも、校則で禁止されていた
バイク教習所への通学がバレてしまったため
だそうです。
たとえ禁止されていることでも、野田聖子さんは興味があることに猛進するタイプと言えますね。
『物足りなさ』を感じ、アメリカ留学を決意
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引用元:毎日新聞
高校生活の安定した日々に物足りなさを感じた野田聖子さん。
当時通っていた雙葉高等学校と自分自身について、
「すごくアットホームな学校だったのですが、たぶん私は他の人よりもエンジンがでかくて、そういう安定調和の中に居づらくなってしまって」
引用元:岐阜大学 田中伸研究室
当時の野田聖子さんは、安定よりも刺激や学びを得たい気持ちが勝っていたのでしょうね。
そしてそのことを親と相談し、結果的にアメリカに留学することになりました。
ですが留学資金は出さないと親から言われたと語っています。
そのことから、本当の理由は退学処分を受けたためだと思われますね。
アメリカでは優秀な生徒

雙葉高等学校を中途退学した野田聖子さん。
その後は、アメリカのミシガン州にある「ジョーンズヴィル・ハイスクール」へ通いました。
こちらのハイスクールではなんと当初から3年生のクラスに飛び級で編入しているのです。
卒業時は周りの生徒より1年早い17歳だったので、頭脳明晰で語学も堪能な方だったということが分かりますね。
野田聖子の出身中学は雙葉中学校
続いて、野田聖子さんの出身中学について紹介していきます。
野田聖子さんの出身中学は『田園調布雙葉(ふたば)中学校』です。
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引用元:千代田遺産
野田聖子さんが5歳の時に父親の転勤のため、福岡県から東京の田園調布に引っ越しました。
田園調布について、
誰でも知っている高級住宅地ですが、実際に私の家も裕福なほうだったと思います。トイレがいくつもあり、お手伝いさんがいるような家で育った「お嬢様」なんです。
このように過去のインタビューで答えているので、自他ともに認める”お嬢様”だったのでしょうね。
また中学3年生の時には、生徒会長に立候補し務めていたそうです。
この頃から『人の上に立つ』という政治家としての片鱗が見えますね。
サッカーが好きすぎて創部
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引用元:岐阜新聞Web
当時の野田聖子さんはサッカーにのめり込んでいましたが、学校にはサッカー部がありませんでした。
そこで自らサッカー部を作ったというので、その行動力に驚きですね。
ですが当時は女子サッカー部が他校になかったので、残念ながら試合をすることは出来ませんでした。
野田聖子の出身小学校は雙葉小学校
最後に野田聖子さんの出身小学について紹介していきます。
野田聖子さんの出身小学は『田園調布雙葉(ふたば)小学校』です。
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引用元:学校法人 雙葉学園
小学時代はスポーツが得意なとても活発でおてんばな子供でした。
政治家は小さい頃からの夢
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引用元:産経新聞
またその頃から政治家の祖父『野田卯一』さんの選挙活動にも参加し、応援演説もしていたそうです。
(後に野田聖子さんは養女となっているので、戸籍上は卯一さんの娘)
また小学校の卒業文集には、将来は
「衆議院議員になりたい」
と書いていらっしゃいます。
身内に政治家がいることから、幼い頃からその仕事に魅力を感じ、自身も目標に掲げたのでしょう。


まとめ
今回は野田聖子さんの学歴についてまとめました。
野田聖子さんは行動力や積極性があり、政治家になるべくしてなった方だと言えますね。
今後の動向にも注目な方です。